大黒屋光太夫供養碑|光太夫の実家のお墓と仲間の供養碑

大黒屋光太夫供養碑について

はじめてロシアから日本に戻り、その文化などを伝えた【大黒屋光太夫】の実家とされる亀谷の墓碑です。

また光太夫がロシアに向かった際に遭難した神昌丸(しんしょうまる)の荷主であった木綿問屋・長谷川家によって建立された、神昌丸の乗組員らの供養碑もあります。

大黒屋光太夫供養碑へのアクセス

住所:〒510-0225 三重県鈴鹿市若松東1丁目18−31


最寄り駅:近鉄千代崎駅から700m

大黒屋光太夫供養碑周辺のおすすめスポット

投稿者プロフィール

らんしす 多田夏彦
合同会社ランシス代表社員。
合同会社ランシスは「ランウォーク」×「ツーリズム」×「WEB」を通じて、三重を走る、歩くモチベーションを創っていきます。
またランニングコミュニティ「セカンドウィンド四日市」の運営や、三重県ウオーキング協会事務局長として広報等を担っています。

個人ブログ | セカンドウィンド四日市サイト | 三重県ウオーキング協会サイト

関連記事

  1. 伊賀上野城|日本一の高さを誇る石垣を持つといわれる日本百名城の一つ

  2. 松ヶ島城跡|松坂城ができるまでは松阪の中心となった城跡

  3. 北畠氏館跡庭園|続日本の100名城にも選ばれた武家が作った庭園

  4. 三井家発祥地|三井グループ創始者・三井高利生家跡地

  5. 洞水寺|鈴鹿七福神の福禄寿が祀られているお寺

  6. 忘れ井|斎王が伊勢へ群行の際に立ち寄ったとされる井戸

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。