延喜式内社・志摩国答志郡三座に比定される由緒ある神社を走って巡ろう

答志郡の延喜式内社を巡ろう

平安時代中期の927年に国によって編纂された延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)に名前が掲載されている式内社は、今も地元の人々を中心に厚く信仰されている由緒ある神社がほとんどです。

三重県内で式内社としてその名が掲載されている神社には、伊勢神宮内宮・外宮やその別宮の他、多度大社、椿大神社など、今も三重県を代表する神社はもちろん、普段なかなか訪れる機会を得られない地域にも数多く点在し、走って巡れば、よりディープな三重を発見する事も可能です!

三重県内の延喜式内社について詳しくはこちら

この記事ではそんな式内社の中で、平安時代の頃、志摩国答志郡(とうしぐん)にあった式内社を紹介していきます。

答志郡ってどこ?

延喜式が編纂された平安時代には都道府県や市町村はなく、国・郡・里の三段階の行政組織に編成されていました。

現在の三重県は伊勢国、伊賀国、志摩国、紀伊国の一部と4つの国に分かれており、そのうち志摩国は2の郡に分かれていました。

その2郡のうち、答志郡は今の鳥羽市が入ります。

延喜式内社・答志郡三座マップ

延喜式内社・答志郡三座リスト

式内社 比定社 住所
粟嶋坐伊射波神社二座 伊雑宮 志摩市磯部町上之郷字上ノ里
伊射波神社 鳥羽市安楽島町字加布良古
同嶋坐神乎多乃御子神社 佐美長神社 志摩市磯部町恵利原

延喜式内社についてもっと詳しく

平安時代中期に養老律令に対する施行細則として国がまとめた「延喜式」の「神名帳(じんみょうちょう)」という帳簿には、国が特に手厚く支援した神社2,861社(祭神の総数は3,132座)の名前が登録されていました。

この神名帳に名前が登録されている神社の事を「延喜式内社(えんぎしきないしゃ)」もしくは「式内社(しきないしゃ)」と呼びます。

式内社は今から1000年以上も前から朝廷から、公の神社として認識されていたという事もあり、それだけ古くから由緒ある神社であるという事ができます。

また式内社は「大社」と「小社」に区分されており、そのうち大社として記載されている神社は、今も三重県を代表する神社がほとんどです。

また現在、かつて延喜式神名帳に記載された神社と同一、後裔と推定される神社の事を「比定社(ひていしゃ)」・論社(ろんしゃ)と呼びます。

延喜式式内社は1000年以上も前に作られたものであるため、ほぼ確実と言われている比定社でも、絶対に後裔であるとは言い切れず、極めてその可能性が高いといった扱いであり、一つの式内社に対して後裔と見られる神社が複数になる事も多くあります。

投稿者プロフィール

らんしす 多田夏彦
合同会社ランシス代表社員。
合同会社ランシスは「ランウォーク」×「ツーリズム」×「WEB」を通じて、三重を走る、歩くモチベーションを創っていきます。
またランニングコミュニティ「セカンドウィンド四日市」の運営や、三重県ウオーキング協会事務局長として広報等を担っています。

個人ブログ | セカンドウィンド四日市サイト | 三重県ウオーキング協会サイト

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